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相変わらず自分の日記長い。そして熱い。

2010-12-29

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ワインがうまいよ2010。

独り夜な夜な晩酌する2010年も残り少なくなってきました。

ただ年が明けたら夜な夜な晩酌する2011年になるだけですが。



ここ数ヶ月、エイズの出張検査が多くなり、月に何百人という人を
検査するようになりました。
そしてごく稀に陽性者がでます。

日本で自分がはじめてHIV検査を受けたとき、
死刑宣告を受けるかのごとく、とりあえずやたらどきどきしました。
もし陽性だったら・・・。色んな思いをめぐらせました。

現在私は3ヶ月に1回はHIV検査をしています。
まぁ職場で簡単にできるし。立場的にしろとも言われるし。
(HIVウィルスは体内に入って3ヶ月で確実に反応がでるといわれています)

そして毎日毎日HIV検査をしている人を見ています。

毎日毎日見ているうちに、頻繁に検査するようになるうちに、
HIV検査が特別な物ではなく
ただの流れ作業のように感じてくるようになっていました。
数や人をこなすだけのただの作業で、受ける人の側になることを
すっかり忘れていた事に気づきました。

私たちにとっては何百人の独りでも、彼らにとっては
1回のHIV検査。それが初めてであったり、数回目であったり。
時には思い当たるふしがあって、不安で検査に来ているかもしれない。

先日、12歳くらいの女の子が職場にHIV検査を受けにきました。
15歳以下の子が受けにくるのは、病院なりで受けに行って来いと
診断された時のみ。
彼女は誰の付き添いもなく一人でやってきて、入ってきたときから
泣きそうな顔をしてた。
それは血を抜く事が怖かったのか、何かよくわからずここに来て何かの
検査をするのが怖かったのか、大人の中に独りやってきたのが怖かったのか。
きっとどれもな気がしました。

私は丁度資料整理をしていて、彼女の顔を見て、検査室に入っていく
後ろ姿を見た。
彼女は今一番何があったらあの怖さを和らげるんだろう。
私は肌の色も違うし、私ができることなんてないかな。

私は大学1、2年時代、アメリカの田舎に居て、差別を受けることもありました。
指差されてごみだといわれれば、大学の講義室で隣に座ったとたん
別の席に移動する学生も。町をあるけばひそひそ話。

その時から私は自分を外人の立場として低く評価するようになりました。
きっと嫌がられる。嫌われる。
少女にしてあげられることはないかも。。。
でも考えた結果、わたしはそんな差別もあったけど、ホームシックだったとき、
怖かった時、辛かった時、私を抱きしめてくれたのはペルー人のホストママで、
アメリカ人の友達でした。もちろん日本人も。

もし嫌だったら彼女は跳ね返すか。
そんな思いで彼女の側によって、手を握りました。
頭を胸に引き寄せ抱きしめました。
彼女は強く握り返してきて、注射針が体に刺さる時
私の体を強く抱きしめてきました。

きっとこれでよかったんだ。
彼女の不安が少しでも和らげたとしたら。

そう思ったと同時に、HIV検査の重みを思い出しました。
自分がHIV検査を受けた時の気持ちを思い出し、
陽性だったときの不安を再度考えてみました。

日本ではHIV/エイズは慢性疾患になりました。
薬をきちんと飲めば生涯をまっとうできるようになりました。
母子感染も高い確率で予防できるようになりました。

でも、アフリカでは違います。

アフリカのHIV陽性者の大半は死ぬ運命にあります。


世界中のHIV陽性者の約70%がアフリカ、サブサハラ以南にいます。
でもその地域の占める人口は世界の約8%ほどです。

その大半が治療を受けずに生活しています。

薬が手に入らないから、お金がないから、交通手段がないから。
エイズ陽性者ということを隠しているから。
エイズ陽性だという事を認めたくないから。怖いから。
差別を受けたくないから。家族を、仕事を、失いたくないから。

エイズ蔓延により平均寿命が30代になった国があります。
働き盛りの若者がエイズ発生、寝たきりになり命を落としてく国があります。

サブサハラ以南アフリカの死因、第一位はエイズです。

それがわかってて、それが理由で、エイズ対策に、アフリカに応募しました。
でもHIV検査と毎日毎日ふれていくうちに、
HIVが特別な病気じゃなくなってしまってました。

自分なりの信念をもってアフリカに来ました。
それを忘れるべからず。自分。




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